インタビュー記事:ゴードン・ベル賞COVID-19研究特別賞受賞!
坪倉誠先生が語る
飛沫・エアロゾル飛散シミュレーションが切り拓く未来

神戸大学大学院システム情報学研究科 計算科学専攻 教授
理化学研究所 計算科学研究センター チームリーダー
坪倉 誠

ゴードンベル受賞の「飛沫・エアロゾルの飛散モデル」誕生のきっかけ

坪倉先生はなぜ飛沫・エアロゾルの飛散モデルを研究されたのですか?

最近僕のことを飛沫の専門家と思ってくださる方もいますが、僕はもともと空気や水の流れを扱う流体力学が専門で、その研究にスーパーコンピューターを活用してきました。コロナ禍以前は様々な業界とコンソーシアムを組み、大きなテーマとして流体シミュレーションがどのように産業界の役に立つのかについて、スーパーコンピューター「富岳」の前身である「京」コンピューターの時から、たくさんの研究結果を積み重ねてきたんです。

その成果の一つがソフトウェア、解析ソルバーCUBE1です。これをSociety5.0時代2に向けてチューニングしていた時にコロナウイルスの感染が拡がり始めました。つまり、感染拡大と時期を同じくして、ちょうど高度な流体力学的な振る舞いが「富岳」でシミュレーションできるタイミングだったわけです。



1http://www.eccse.kobe-u.ac.jp/assets/files/2021/210907tsubokura_HPCSummer.pdf
2サイバー空間と現実空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間を中心とした社会



そこからどのように飛沫・エアロゾルの飛散モデルにつながるのですか?

ダイヤモンドプリンセス号のクラスター発生時から、日本では世界に先駆けて、疫学的な観点で飛沫やエアロゾルが感染拡大の重要な因子だと言われていました。いわゆる「三密」への警戒もそこに由来します。

新型コロナの感染経路は口から飛散した飛沫が蒸発しながら徐々に小さくなり、最後はエアロゾルになって拡散していくモデルで説明できます。つまり飛沫を運ぶ空気の流れ、飛沫を囲む空気とその界面で飛沫が蒸発していく現象という具合に分解できます。これは僕たちがこれまでに研究してきた自動車のエンジン内でピストンの運動中にガソリンが急速に気化していくモデルと物理的に同様の現象なんです。

2020年4月の緊急事態宣言下、当時は研究チームのメンバーも在宅勤務で新型コロナウイルスのニュースを毎日見ていました。新型コロナウイルスは新しい病気でデータもなかったため、世の中ではさまざまな憶測が飛びかっていました。

同じタイミングで「富岳」利用の公募がある中で、「流体力学をコロナ感染対策に適用できないか」と、若手メンバーからスラック(コミュニケーションツール)で発案があり、「これまでの研究成果を世の中に還元する機会になる」と研究メンバー皆で一致団結して動き始めました。僕たちは疫学やウイルスの専門家ではないので、医学の専門家や企業と連携をお願いしたいと話をして、同日中にはチームができていました。

新型コロナは新しい病気でデータが必要なのに、正確なデータが得られていない中で、人々の不安がネガティブな憶測を呼んでしまう状況でした。それに対して、シミュレーションという手法は在宅でも研究を進めることができます。新型コロナ対策という社会的な課題、行動自粛が求められる状況、僕たちのシミュレーション技術。全てがマッチしていたことも、スピーディな成果になった大きな理由です。

「使える感染リスクシミュレーション」を生活シーンごとに

この感染リスクシミュレーションはどのようなシーンを想定していますか?

僕たちはこのシミュレーション結果の公表が「今までの研究成果を社会に還元すること」につながると考えています。そこで大切なのが必要なアウトプットを適切なタイミングで公表することです。通常の研究プロセスである「仮説立て、実験・検証、論文の執筆、公表」だと、コロナウイルスの感染状況によって刻々と社会が変化していく中で、必要な情報を必要なタイミングで提供することが難しいです。
だからこそ、新型コロナ感染数の推移をにらみながら、もっとも提言が必要とされる時期に効果的な対策を出すことを心がけました。
スーパーコンピューターは研究プロセスをスピードアップしますがそれでも結果の算出には短くて半日、長くて1週間かかります。そこで、感染が増える時期に大切な行動、感染が下火になり人々の生活が盛んになる時期に効果的な予防策などを前もってリストアップしています。公共交通機関や公共施設をはじめ、さまざまなシーンを想定してシミュレーションをおこないました。感染拡大の度合いによってすぐにメッセージを出せるチーム体制を整えたことで、適切なタイミングで社会へ伝えることができました。

例えばどんなシミュレーションをされたのでしょうか?

第一回目の緊急事態宣言明け、2020年5月6月に皆さんがオフィスへ戻られる頃には「パーティションがもたらす効果」を検証したシミュレーション結果を公表しました3。その年の8月の末には子供たちの夏休み明けが控えていたので「教室の窓開けの効果」について公表するという具合です4

他にも、若者への感染拡大が顕著だった時期には居酒屋やカラオケボックス、ウレタンマスクの効果などをシミュレーションしました。Go To トラベルで旅行が多くなったときにはタクシーや飛行機内での感染エアロゾル飛散シミュレーションもおこないましたね。

「必要なタイミングで必要な情報を出すことを最優先に」ということが通常の研究と違うところだったと思います。計6回のプレスリリースという形で公表し、多くの反響もいただきました。



3 「2020年6月3日発表 室内環境におけるウイルス飛沫感染の予測とその対策」
https://www.r-ccs.riken.jp/outreach/formedia/200617Tsubokura/
4「2020年8月24日発表 室内環境におけるウイルス飛沫感染の予測とその対策」
https://www.r-ccs.riken.jp/outreach/formedia/200824Tsubokura/



社会から届いた反響はシミュレーション研究にどのように影響があったのでしょうか?

シミュレーション結果が報道されると「日常生活のこんな場面で感染リスクが心配」という内容のメールや電話が毎日のように届きました。例をあげると、ママさんコーラスをやっている方が合唱のメンバー同士やお客さんへの飛沫感染を心配して連絡されたという具合です。
イベントやスポーツ観戦、運動会など「きちんとマスクをして飛沫の拡散がある程度抑制されるなら声援を上げても大丈夫か?」「屋内外で結果は違うのか?」といった問いに科学的なアプローチで答えていく。生活する中でコロナ対策が要求される様々な場面を、僕たち研究者だけで考えるのではなく、メディアを通した得た反響の中でも見つけていく。これもこれまでの科学にはあまりなかったように思います。

シミュレーションにより飛沫感染という現象の可視化がもたらす人々の意識変化についてどのようにお考えになりますか?

シミュレーション結果の動画を見せることで、非常に伝わりやすくなったと考えています。「飛沫・エアロゾルの飛散シミュレーションは世間を怖がらせてばかりだ」というご意見もいただきましたが、同時にそれは窓開けやパーティション、マスクなどの対策の重要性を社会に啓発できたとことであるとも考えています。

政策面でも活用してもらうために、より科学的で定量的なデータを提供しています。ただ難しいのは、客観的なデータとして「1時間その場にいたときの感染リスク」のような答えの出し方はできますが「これは危険なのか?安全なのか?」ということは言えません。
それは科学ではなく、科学的な手法を使ったその人の評価だからです。そして、それを自分たちで考えて判断できるようになることが、憶測による議論で過度に不安にならずに感染リスクを抑えて、適切に行動していけるようになる方法でもあります。


新型コロナ変異ウイルスや将来のパンデミックに立ち向かう

飛沫・エアロゾルの飛散シミュレーションはオミクロン株などの変異体にも通用するでしょうか?

飛沫・エアロゾルの飛散シミュレーションは「口から出た飛沫がどう飛ぶのか」に焦点を当てたものです。人体が吸引・付着した飛沫に対し、感染力の強さというファクターを係数に感染リスクを計算するため、デルタ株でもオミクロン株でも対応が可能です。

逆に言えば、飛沫の中にいるウイルスの感染力が強いか、ということまではわかりません。一般に飛沫は口から出るものというイメージがあるかもしれませんが、声帯や肺胞からも小さなエアロゾルが飛散しています。発生する場所によって飛沫に含まれるウイルスの数は違うので、今後疫学的・生物学的な研究の結果を統合することで、シミュレーションの精度はより高まっていくと思います。

飛沫・エアロゾルの飛散シミュレーションにはこれからも伸び代があるのですね?

ウイルスが皮膚や粘膜に接触したときに、そこにレセプター(ウイルス受容体)になる細胞があると、そこからウイルスが人体内で増えていきます。飛沫を吸ったときに「体のどこからウイルスが増えてくるのか」「その結果、感染した人が次にどのように感染を広げていくのか」という複合的なシミュレーションを僕たちはすでに始めています。

ここまで体系的なモデリングになるとスーパーコンピューターの計算能力の必要性がイメージしやすいと思いますが、これまでに公表した結果も1000を超えるシミュレーションに裏付けられています。2021年のゴードン・ベル賞COVID-19研究特別賞受賞も、シミュレーションの有効性だけではなく、その素地まできちんと評価していただいた結果だと考えています。

高度なシミュレーションの助けがある中で、私たちはどのようにwithコロナの生活を送っていくべきでしょうか?

社会の一人ひとりが、自分で得た情報から自身の行動を考えていく必要があると思います。不安だからと誰かに聞いてばかりだと、場所やシチュエーションが変わったときに対応できなくなってしまうことがあります。

例えば、マスクの素材も不織布が良いのか布が良いのかという話があります。不織布は布素材と比べてフィルター性能が高いです。だから顔にフィットした形に整えれば、非常に高い感染予防効果を発揮します。でも呼吸時の空気の通り道としては抵抗が大きく、小さな隙間から空気が漏れやすい。
顔が小さな子供たちの場合、大人用の不織布マスクだと隙間がさらに大きくなり、不織布マスクの性能が発揮されません。このようなケースなら、その子にあったサイズの布マスクの方が良いこともあるでしょう。
そういったところまで情報を紐解いていけば、良い悪いの二元論に陥らずに一人ひとりが最適な選択をすることができます。

坪倉先生の研究の成果により、社会とサイエンスの対話が盛んになりました。このことの意義はどう感じますか?

この感染リスクシミュレーション結果を発表してから実感したのは、SNSでのやりとりを通して、社会とサイエンス、双方のコミュニケーションが可能になったことです。

これまでの流れとは大きく違い、SNSを介することで社会とサイエンスのつながりが生まれはじめているように感じています。科学的な研究成果に対して「こういうことができないだろうか?」という建設的なやりとりが可能になれば、社会もサイエンス側もその質をより高めていけるのではないでしょうか。その可能性のドライバーは、社会の1人ひとりが「考える」ことだと、僕は思っています。



プロフィール:坪倉 誠/TSUBOKURA, Makoto

理化学研究所計算科学研究センター 複雑現象統一的解法研究チーム チームリーダー
(神戸大学大学院システム情報学研究科教授)

1992年京都大学卒業後、東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻博士修了。現在は理化学研究所と神戸大学双方に研究室を持つ。ものづくり技術(機械・電気電子・化学工学)や流体工学をはじめ、シミュレーション結果の多目的最適化や機械学習(AI)、計算科学とデータ科学の融合技術を研究。理化学研究所では、フラッグシップスパコン京や富岳によるシミュレーション技術を開発した。2020年4月の緊急事態宣言から、それまでに培った研究成果や手法をコロナウイルス感染拡大の抑制に活用すべく、公共交通機関や公共施設などを想定した飛沫・エアロゾル感染のシミュレーションを実施し公表してきた。飛沫・エアロゾルの振る舞いを可視化し、その理解と対策の重要性を世界中に啓発したことが評価され、2021年ゴードン・ベル賞COVID-19研究特別賞を受賞した。